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銀の匙 -東大合格激増させた灘校伝説教師の授業-
2011 / 02 / 25 ( Fri )
東大進学者数が多い私立の有名高校に伝説の授業があったそうです。
国語の時間に、教科書を使わず、文庫本を3年間かけて読むものとのこと。

「“学ぶ力の背骨”です。国語力のあるなしで、他の教科の理解度も違う。
 数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの神髄に近づいていこうと
 する力こそが国語力です。それは“生きる力”と置き換えてもいい」

深く踏み込んで、テーマの神髄に近づこうする力は、イキルチカラ
なんて、考えさせられます。
この授業が中学校で行われていたそうです。

公立の中学校では、カリキュラムが決まっていて同じような授業は許されない
と思います。
教材になった、銀の匙が読みたくなりました。中 勘助 著

<岩波文庫の内容紹介>
出版社/著者からの内容紹介
 なかなか開かなかった茶箪笥の抽匣(ひきだし)からみつけた銀の匙.
 伯母さんの無限の愛情に包まれて過ごした日々.
 少年時代の思い出を中勘助(1885-1965)が自伝風に綴ったこの作品には
 子ども自身の感情世界が,子どもが感じ体験したままに素直に描き出され
 ている.
 漱石が未曾有の秀作として絶賛した名作.改版.(解説=和辻哲郎)

by ウィッキペデア 中 勘助
 東京神田生まれ。東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)
を経て、第一高等学校から東京帝国大学文学部英文科まで続けて夏目漱石
の講義を受ける。

国文科に転じて大学を卒業した後も、早稲田南町の漱石山房をしばしば
訪問している。しかし控えめな人柄から、漱石山脈の中では目立たない
存在として通した。

文壇政治から常に距離を置き、特定の派閥にとらわれない孤高の文人だった。
また、野上弥生子の初恋の人としても知られている。

1913年から1914年にかけて、漱石の推薦で自伝的小説『銀の匙』を東京朝日
新聞に連載。素直な文章で愛されているが、『犬』『提婆達多』など、
愛慾、妄執などを幻想的な作風で描いた作家でもある。

その陰には兄金一との確執があった。金一は1910年に倒れて廃人となるが
勘助はその妻末子に愛情を寄せていた
(末子は幕末長州の志士入江九一の弟野村靖の娘)。

1942年に末子が死ぬと勘助は57歳で結婚するが、金一は結婚式の日に自殺
している。このことは、末子の兄の孫である菊野美恵子が明らかにした。

1943年より1948年まで、静岡県安倍郡服織(はとり)村に疎開。

戦後、泉鏡花の孫娘泉名月が谷崎潤一郎に文学修業のため預けられたが
谷崎は中に指導を頼んでいた。
1965年脳出血のため死去。

--------------------------------
by NEWSポストセブン
 文庫本1冊を3年間かけて読み込む授業を行なう伝説の国語教師がいた。
生涯心の糧となるような教材で授業がしたい、その思いは公立校の
滑り止めに過ぎなかった灘校を、全国一の進学校に導き、
数多のリーダーを生み出すことになった――。

 教師は、文庫本の一節を朗読すると、柔らかな笑顔を浮かべ紙袋を
取り出した。生徒たちは、今日は何が出てくるのか、と目を輝かせる。
出てきたのは赤や青、色とりどりの駄菓子だった。

 教師は、配り終わると教室を制するようにいった。

「もういっぺんこの部分を読みます。食べながらでいいので聞いてください」

 読み上げたのは主人公が駄菓子屋で飴を食べる場面。

〈青や赤の縞になったのをこっきり噛み折って吸ってみると――〉

 生徒の一人はこう呟く。

「普通なら飴を噛み折る音って『ぽきん』『ぱきん』だけど、確かに
 『こっきり』のほうが優しくて甘い味の感じがでているなあ……」

 灘校を東大合格者数日本一に導いた「銀の匙」教室の授業風景である。
教科書は一切使わない国語の授業。文庫本『銀の匙』(中勘助)1冊を
横道に逸れながら中学3年間かけて読み込む。

 前例なき授業を進めたのは橋本武先生、御年98歳。50年間教鞭を執り
昭和59年に同校を去った。橋本先生が退職して27年を経た。
だが、今も「銀の匙」教室は、伝説の授業として語り草となっている。

 では、橋本先生が生徒たちに植え付けたものとは? 橋本先生はこう
語っていた。

「“学ぶ力の背骨”です。国語力のあるなしで、他の教科の理解度も違う。
 数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの神髄に近づいていこうと
 する力こそが国語力です。それは“生きる力”と置き換えてもいい」

 教科書を使わない、一つの言葉につき脱線する授業に生徒の戸惑いが
なかったといえば嘘になる。あるとき生徒はこんな質問をした。

「先生、このペースだと200ページ、終わらないんじゃないですか」

 橋本先生は教室を見渡した後、静かな口調でいった。

「スピードが大事なんじゃない。すぐ役に立つことは、すぐに役立たなく
 なります。何でもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こし
 ていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。
 そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。
 そのことはいつか分かりますから」

 言い終わると、頬を緩め、再びプリントを配り始めた。

 東大総長・濱田純一氏は、このとき教室にいた生徒の一人だ。
 いつか分かりますから――その言葉通り橋本先生の教えを財産にしている。

「改めて素晴らしい授業だったんだなぁと。僕らが大学で原書講読をやる時
 のやり方と似ています。一つの言葉に拘ることでその背後に広がる概念や
 感覚や考え方と繋がってくるわけです」

※週刊ポスト2011年3月4日号

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