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明治神宮参拝 鳥居と拝殿の上の空が赤く、神木にもや
2011 / 01 / 15 ( Sat )
明治神宮に行ってきました。

原宿駅から始めに明治神宮に向うところにある鳥居です。



広い参道を通り



もう一つ鳥居を通過ではなくて3番目の鳥居です。
ここを入ると神社の拝殿です。
なんだか、鳥居の上の空がぼんやり赤く見えます。



本殿 向って左の神木 上の部分に靄(もや)がかかっているように思えます。



本殿 向って左の神木(2本の木) こちらも靄(もや)が・・・・



拝殿です。両側には神木があります。上の空が赤っぽいような・・・・・・



参拝中に花嫁さんを二人見ました。
明治神宮で結婚式をされているのだと思います。
参道には、氷の彫刻展の作品が展示されていました。

写真を撮ったら、空が赤っぽかったり、神木の上部にもやがかかったように
なっていたり、不思議が気がしました。

地図を見ると入ってきたのは、南参道で、南参道と北参道が合わさったところに
2番目の鳥居があり、突き当りを右に曲がると3番目の参道があります。

清正井のある御苑には南池、来たの宝物殿、至誠館近くには北池があります。
東池もあります。

明治天皇は、1852年9月23日(新暦11月3日)に121代孝明天皇と
女官の中山慶子との皇子として、ご生誕されました。

ご生誕の翌年、アメリカのペリーが軍艦を率いて来航し、開国を迫り
1858年には天皇の勅許を得ずに日米修好通商条約が締結された。

by ウィッキペディア
明治天皇
生誕から即位まで
孝明天皇の第二皇子。母は権大納言中山忠能の娘・藤原慶子(ふじわら の よしこ)。
嘉永5年9月22日(1852年11月3日)13時頃、京都・中山忠能邸にて生誕。
嘉永5年9月29日、父・孝明天皇が祐宮(さちのみや)と命名。

万延元年(1860年)7月10日、儲君(皇太子)となる。9月28日、孝明天皇から
親王宣下を受け、「睦仁」の名を賜る(=睦仁親王となる)。

慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇が崩御。慶応3年1月9日(同2月13日)
満14歳で践祚の儀を行い践祚。

慶応4年1月15日(1868年2月8日)、元服。同年8月21日(10月6日)から関連儀式を
いくつも執り行った後、8月27日(1868年10月12日)、京都御所にて即位の大礼を執
り行い、即位したことを内外に宣下(詳細は明治天皇の即位の礼・大嘗祭を参照)。

幕末の動乱 [編集]
この頃、幕府と討幕派は、それぞれ朝廷への工作を強めていた。慶応3年10月15日
(1867年11月10日)に、明治天皇は、征夷大将軍・徳川慶喜からの大政奉還の上奏
を勅許し、政権を朝廷に戻した。さらに12月9日(1868年1月3日)には討幕派の主導
において王政復古の大号令を発し、「新政府樹立」を宣言。
東征を命じ、旧幕府軍と 明治元年(1868年)から明治2年(1869年)にかけて戦い
勝利した(戊辰戦争)。
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