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浄山寺
2009 / 05 / 06 ( Wed )
西風隆介 著の伝奇小説”神の系譜シリーズ”の一巻目の”龍の封印”で浄山寺の秘密
が語られていました。芝の増上寺と浄山寺と日光東照宮を結ぶラインが江戸から見た
悪い方向の東北を守っているとのこと。

このお寺は徳川家の「葵の紋」と天皇家の「菊の紋」の2つがついている珍しい(らしい)
お寺で、吹上御所の真北に位置していることから「真の日光の役割(=かつては江戸
明治以降は天皇家を守護する役割)」を担っていたのではないかという仮説が展開されて
いたりします。

隻眼(片目)は認知心理学から見ると超能力を得ることがあるとのこと。
龍は宇宙人で神の力を持つ、龍の家系があり跡継ぎは隻眼となり超能力を
発揮するなど・・・・・

伝奇小説の中の話ですが、興味があり実際の浄山寺に行ってきました。

浄山寺は円仁(慈覚大師)創建の天台宗寺院で貞観二年(860)に創立され、本尊には
自ら彫刻した延命地蔵の立像を納めた。これが野島の天台 宗慈福寺である。
所在地 〒343-0801 埼玉県越谷市野島32

慈福寺は天文八年(1539)12月に示寂した景春和尚のとき天台宗より曹洞宗に改められた。
したがって景春和尚が中興開山僧に位置付けられている。
天正18年(1590)家康関東入国のとき、寺号を野島浄山寺と改めるよう達し、天正19年11月
寺領高3石が寄進された。文久二年祝融の災に罹り全焼。元治元年再建。

徳川家康はじめ歴代将軍の寺領朱印状11通が 残されています。江戸期からは地蔵信仰の
中心で湯島天神への出開帳や北関東一円を巡回した出開帳の記録が残されています。
浄山寺には徳川家康をはじめ歴代将軍の寺領朱印状11通が残されています。

⇒2代将軍 徳川秀忠の朱印状はないとのことが寺の案内に記載されていました。

天保12年(1841年)多くの信者により奉納された大鰐口は、日本最大級の大きな
鰐口(わにぐち)だといわれ、今でも本堂に懸けられています。
鰐口(わにぐち)とは、仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種。
神社の社殿で使われることもある。

天保12年(1841年)、多くの信者により奉納された大鰐口は、日本最大級の大きな
鰐口(直径1.7メートル、重量750キログラム、厚さ0.6メートル)だといわれ、今でも
本堂に懸けれれています。

⇒鰐口が読めずに何のことか分かりませんでした。インターネットで鰐口をしりました。

本堂です。本堂の前には大きな駐車場があります。
敷地内には、徳川家康像などがありました。奥には墓場があります。 
20090506144029



200メートル程離れたところにある看板です。
浄山寺耕雲閣は浄山寺敷地内にある斎場のようです。
20090506144020


看板の左横には、寺社があり始めここが浄山寺だと思っていました。
入り口の左には、民家があります。
鳥居があるので、寺なのにと考えていました。
本堂には、賽銭箱がありませんでした。神社は賽銭箱がつきもと思っていましたので
不思議に思いました。有名なお寺と聞いていたので、おかしいと思い回りを見回すと
浄山寺が見つかりました。


この神社がなんなのか興味が湧きました。雰囲気は凄く良かったです。
地図で調べると久伊豆神社とのことでした。住所 越谷市野島261
越谷市内には、5つの久伊豆神社があるようです。

20090506144011


片目になった地蔵尊 浄山寺の地蔵尊
<JR南越谷駅発行旅もよう から>
野島の浄山寺の地蔵尊は、別名、「片目地蔵」とも呼ばれています。神や仏が片目になる
という伝説は各地にあるようですが、神様は片目を好み、片目の者ほど神の加護を受ける
と考えられていたようです。

ところで、天文8年(1539)のこと、この地蔵尊は、毎朝、朝早く、鉄杖を振りながら村々を
回っては、檀家の家の門口に立ち、「起きろ、起きろ、起きて働け」とふれ歩いていたのだ
そうです。

ところが、ある朝、茶畑で茶の株につまづいてしまい、片目をついてしまいました。
地蔵尊は、すぐに寺に戻って、境内の池で目を洗いましたが、不思議なことに、それ以来
池の魚はみな片目になったということです。

檀家の家々では、それからは茶の木を植えなくなったのだそうです。
このお話には続きがあります。毎朝毎朝出歩く地蔵尊のことを心配した浄山寺の和尚さんは
地蔵尊に万一のことがあってはと心配して、出歩けないように背中に釘を打ち、鎖でつないで
しまいました。しかし、出歩けない地蔵尊は嘆き悲しんだということです。

やがて、後の和尚さんの代になって、出歩くのが好きな地蔵尊だったということで、釘を抜いて
鎖を解いてあげました。地蔵尊はたいそう喜んで、以来、この寺はますます繁栄したということです。
埼玉県の神社の勢力図

埼玉県内の神社の分布
  県中央を中心に      氷川神社
  元荒川流域を中心に   久伊豆神社
  利根川流域の県境には  香取神社

それぞれ分布地帯がはっきりしています。このうち、久伊豆神社は出雲系ですので、
氷川神社と同属とも考えられますが、香取神社は別系統です。
現在の埼玉県境は旧国境にも近しいので、おそらくこのあたりが古代勢力の境目でも
あったのでしょう。


久伊豆神社の謎
なぜ久伊豆なのだろうと思って調べてみたが、なかなかやっかいだった。
祭神は大国主命・言代主命(大国様・恵美須様)で、久伊豆にはつながらない。
久伊豆という地名も、埼玉県一帯には見あたらない。ということで、インターネットで
調べてみたが、合点のいく由来は出てこない。分かったことは以下の通り。・・・・・・・
(上記リンク先、久伊豆神社の謎 参照)
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