「忘己利他」 伝教大師最澄(比叡山)
2008 / 06 / 18 ( Wed ) 「忘己利他」 伝教大師最澄が比叡山開山の際に根本理念に
した教えだそうです。 比叡山延暦寺の天台座主 山田恵諦猊下のお話らしい。 私は、「忘我利他」とばっかり思っていました。 「ぼうがりた」では漢字に変換されますが、自分のパソコンでは 「ぼうこりた」ではうまく漢字に変換されません。 パソコンも持ち主に似て、我が強いのかもとも思いました。 忘己利他の意味: 「悪事を己に迎え、好事を他に与え 己を忘れ、他を利するは慈悲の極み也」 悪事とは人がやりたくないこと、やっても誉められないこと 苦しいことであり、好事とは誰でもやりたがること。 自分も人がやりたくないことを引き受け、我を忘れて頑張る という気持ちで何事にも取り組んで生きたいと考えました。 自分にはプラスにならないが、全体にはプラスになること。 自分は、生きているのではなくて、「生かされている」と感謝の気持ちを 持てば、他のために頑張ることは当然かもしれません。 考え方を変えると別の面も見えてきます。 「人に尽くせば、自分に帰ってくる。」 「天に唾すれば、自分に帰ってくる。」 「自分の行為はめぐりめぐって、自分に戻る。」 「人を怨めば穴二つ」・・・・・ 忘己利他は、自分のためにもなるように思われます。 学校で、口うるさい先生は、生徒から不人気で嫌われるが 学校の秩序を守り、地域や生徒の安全を守るためには 貢献する。これも忘己利他かもしれません。 自分の人気はなくなるが、学校や地域、生徒のことを考えると 忘己利他、忘我利他の精神が社会にとって大事なことではないか と考えました。 しかし、今の社会は、近所に雷親父はほとんどいなくなっているように 思います。昔の先頭には、口うるさい親父がいました。 ちょっと、騒ぐと「静かにしろ」と言われ、電車の中で騒ぐと同じように 「静かにしろ」と言われ、子どもが世の中全体に育てられるみたいな感覚 があったようにも思います。 世の中は厳しいという予感が多少なりともあったように思います。 いま、タバコを吸っている中学生に注意したら、逆に注意した大人が 被害にあうような世の中になっているのではないか、だから皆、自分が 被害にあわないように、見て見ぬ振りをして流してしまうのかもしれません。 自己責任という言葉の重みが大きくなっているように思えます。 どんな環境で育ったとしても、大きくなれば自己責任 義務教育は中学までですから、中学を卒業したら自己責任の 部分が大きくなるように感じます。 なにかを社会のせいに出来ない世の中になっていくようにも思います。 自由の裏側にある義務と責任がもっと大きくなっていくように思えます。 一人一人の自己責任がもっと問われてくるようになるのではないかと 感じております。 意味不明ですが、連想遊びをしてみました。 「ぼうこりた」⇒「もうこりた」⇒「蒙古リターン」⇒「チンギス・ハーン」⇒大帝国建設 「ぼうがりた」⇒「坊がリタ」⇒「坊さんが外国人」⇒国際化 遊びですが、「世界は一つ」が結論でした。 日本だけでなく、これからはグローバルな活動をますます広げていかざるを 得ません。原油高騰、食料高騰すでに日本だけの問題ではなく 世界中に関わる問題になっています。 これからの時代に忘己利他の精神が必要になってくるかもしれません。 苦しいとき、つらいときに「忘己利他」を思い出して、無我夢中に 取り組みこと、他のために頑張ることも重要とも思いました。 「忘己利他」の反対が、「忘他利己」かもしれません。 公務員のタクシー居酒屋、キャッシュバックなど、「忘他利己」のように 思えます。これでは国が滅びます。 追記 2008.6.20 忘己利他の読み方は、”もうこりた”が正しいようです。 他にも、「自利利他」という言葉もあるようです。 自利とは利他という 利他を実践すれば、いつか巡り巡って自分の利益になるというように 考え方ではなく、利他の実践がそのまま自分の幸せになる。とのこと |
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